『伝記 小泉信三』を読みとくブログ Vol.9

青年小泉信三のヨーロッパ留学


伝記 小泉信三

例年、慶應義塾横浜初等部の願書には
創設者の福澤諭吉の著作『福翁自伝』を読んで、
所感を記す指示がありました。

しかし、これまでとは異なり、
2020年度の横浜初等部の入試では次のように変更されました。
『伝記 小泉信三』を読んで、
慶應義塾の塾風・気風(空気感)について感じるところを書いてください。」

そこで、この「『伝記 小泉信三』を読みとくブログ」では、
これからこの本を手にされる方のために、
どんな箇所を気にとめながら読んでいけば良いのか、
詳しく解説します。

今回は小泉信三のヨーロッパ留学体験の話です。

二 ヨーロッパ留学

1912年(明治45)、信三24歳のとき、学校から海外留学を命じられます。
この留学は1916年(大正5)、信三28歳の年まで4年間という長期間にわたるものでした。
その間、信三は、イギリス、ドイツ、フランスと、国を転々としながら勉強をつづけました。
というのも、この時期のヨーロッパでは第一次世界大戦(1914)が起こり、ロシア革命(1917)へと続く世界史上の重大事件が起きています。
その影響で信三も留学先を転々としたのでした。

まず、信三が向かったのはイギリスです。
首都ロンドンで1年間学びました。
信三のロンドンでの一日は、ノーベル経済学賞受賞者を多数輩出するロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学の授業を聴講したり、英会話を習ったり、大英博物館に通ったり、演劇を見たりと、かなり充実したものです。

また、休日になると得意のテニスをしていました。
テニスクラブの大会に出て、優勝もしたそうです。

一年後、信三は留学先を変え、ドイツのベルリン大学へ移りました。
慶應の自由な気風に慣れていた信三は、ドイツ流の息の抜けない雰囲気が合わなかったといいます。
そんなドイツ留学中の1914年、第一次世界大戦が勃発します。
イギリスと同盟関係にあった日本は、ドイツの敵国です。
ドイツの地では信三は敵国の留学生なわけです。
安心していられません。

これを機に信三はイギリスに戻り、ケンブリッジ大学に籍を置くことになりました。
同盟国・日本の留学生が敵国から逃れてきたということで、信三は手厚く扱われ、授業料免除という特典が与えられ、自由に聴講が許されました。
信三は、この後、再びロンドンに移り、最後はパリに向かい、学問を続けました。
そして、ニューヨークを経由し、1916年(大正5)、ようやく帰国するのでした。

青年小泉信三の日記―東京‐ロンドン‐ベルリン 明治四十四年‐大正三年

まとめ
このページで目に留まる記載は、学問に対する熱心さもさることながら、信三の演劇に対する熱の入れようです。
まず留学の直前、しばらく何年間は見られなくなるということで、歌舞伎を観だめしています。
そして、ロンドン、ベルリンの地でも、お芝居を見る時間を多く取っています。
よほどの芝居好きと推測できます。

このあたりも小泉信三という人を理解するのに参考になるでしょう。
その人間味あふれる人柄は、人と人とのドラマを描く演劇鑑賞を趣味としていることからもうかがい知ることが今回できました。

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